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2005.01.10

ぼくたちの洗脳社会

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ぼくたちの洗脳社会 岡田斗司夫 朝日文庫 \588

オタキングの初めての著書(1995)が文庫化されたものだそうです。自ら設立したガイナックスはもう退社されていたようですが、既に大学の教壇に立っておられた、そういう頃に書かれたようです。インターネットよりもパソコン通信が主役で、PCを使っている人の多くがニフティのフォーラムでつながっていた、そういう時代です。
この方の話し振りは国営放送等でよく見かけますが、滑舌のよさもあるのでしょうがそれ以上に論点をずばり突いてくることと論理の組立の明快さにいつも目からウロコが飛び出てしまいます。
「洗脳」という言葉(英語のBrain washのまさに直訳ですね。)に、一瞬どきっとしますが、まぁ言ってみれば「情報発信」とほぼ同義と捉えてよいのかもしれません。権力者の洗脳装置であるマスメディアから、大衆が個々に洗脳装置であるパソコン通信(今ではインターネットと置き換えるべきでしょうが。)を獲得しつつあるマルチメディアの時代へ、ということのようです。
トフラーの「第三の波」と堺屋太一の「知価革命」にインスパイアされたものの、何か違和感を感じ続けていた著者がたどり着いた答えが本書だということのようです。そんなわけで、この2冊を読んだことのある方は入り込みやすいと思います。ドラッカーの「非営利組織の経営」も引用されていましたが、「ネクストソサイエティ」にも通じる文脈も見られます。
約10年前から見た未来である「現在」が、本書のとおりになっているかどうかは実際にお読みいただくとして、オタキングがますます意気軒昂なことは間違いないわけで、本書の内容にそった生活を実践されていることは間違いないといえるでしょう。

(引用)
 つまり本書の主張はこのようになります。
 近代が経済行為が自由になった社会であるのに対して、現在、新しく変化しつつある私たちの社会とは「洗脳行為が自由になり、個人に開放されつつある社会」なのだと。

 今まで説明したことを、まとめてみましょう。
「マルチメディアの発達によって、歴史上初めてすべての人々が被洗脳者から洗脳者になるチャンスを与えられるようになる。それによって自由洗脳社会が始まる。
 人々のニーズをつかみ、最も効率よくそれを生産して販売することによって、多くの富を得られるのが、自由経済競争社会。それに対し、人々の不安や不満をつかみ、最も効率よくそれを解消する方法を提案することによって、多くの尊敬と賞賛を得られるのが、自由洗脳競争社会。得られる利益は経済利潤ではなく、洗脳利潤、つまりイメージである」
 これが「洗脳社会」「自由洗脳社会」の定義です。

 今の若者たちや子供たちは、いくつもの価値観を持つ訓練を受けています。
 学校、いくつもの塾、お稽古ごと、クラブ、ボーイスカウトのような活動。時間ごとに区切られたグループは、それぞれ価値観が違います。学校は先生の言うことを聞くところ、塾は勉強のできる子が偉いところ、英会話教室は積極的に話す子が良いところ、絵画教室は人と違うことをするのが良いところ、ボーイスカウトは人に親切にするのが良いところ、等々。

・・・10年後の「未来」は、まさに当たり前の現代のようですね。

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» ぼくたちの洗脳社会 (岡田斗司夫 著) [晴耕雨読 −ある社会学者の日常]
 実に論理的で美しい構成で書かれた本である。岡田さんの最初の本ということで、そうした理想をかたちにしたものだったんだろうなと思う。10年前に書かれた本であり、内容は今となっては当たり前に思えるが、逆に10年前に、現在の事態をよく予想しているともいえる。 ... [続きを読む]

受信: 2005.04.08 02:01

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