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2006.10.09

わが闘争(下)

404322401x09_aa240_sclzzzzzzz_1 わが闘争(下)  Ⅱ 国家社会主義運動 アドルフ・ヒトラー 角川文庫 ¥740

 上巻から何ヶ月も間が空いてしまいました。下巻に入ると自叙伝の趣から、ドイツ・ゲルマン民族主義、反ユダヤ理論、内政、外交へと軸足を移しています。(写真は上巻のものです。)

 私達は、この本が明らかに「間違っている。」ことを歴史的にもはや知っているので、いかに熱っぽく書かれたものであっても、距離を置いて冷静に読み進めることができます。しかし、同時代において、凄まじい勢いを持った集団の指導者がものした本であるとの認識の下で読んでいたらどうであっただろうか。ところどころ凄まじい跳躍力を生かした論理の飛躍が見られるもの、諸悪の根源としてユダヤ人が位置づけられていることから、「解説」にも見られるとおり、ヒトラーの論理は首尾一貫しているように見える。私自身は、ふらふらとヒトラーになびいてしまわないか、といった恐怖感を感じてしまう。それがゆえ、歴史に学び、戦記、戦史に学ぶ必要を感じるのです。

  • ドイツにとっての不倶戴天の敵は、いつの世においてもフランスである。
  • 莫大な資源を抱えた巨大な国土を有するアメリカ合衆国の脅威。(当時においても米国が世界最強であるとの的確な認識。)
  • 同盟するなら、イギリスとイタリア。利害が直接には衝突しにくい。
  • 人種主義的には許しがたい日本であるが、ユダヤ人が絶滅対象として捉える国家としては日本はドイツと同様である。
  • そして、「宣伝と組織(第11章)」などは、現代の日本の政治家もこっそりと読んで、頷いているのではないかと思うほど、個人としてのあるいは集団としての「人間」を冷徹に見つめている。

 どうでもいいんですが、「富の未来」がベストセラーになっている未来学者のアルビン・トフラー氏。語感がアドルフ・ヒトラーに似ていませんか。

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コメント

以前上巻を借りたのですが、ほとんど読み進むことができず、無条件降伏しました。
トフラーとヒトラー。確かに似ています。

投稿: Mizo | 2006.10.09 22:13

上巻と下巻では、随分と趣が変わります。この本に当たっては、少々不謹慎ではありますが、ヒトラーなる人物を嘲りながら読むのも一法かと思います。

投稿: 凡太郎 | 2006.10.09 22:35

オーストラリアやアメリカでは(それから、確認はしていないけれど欧州でも間違いなく)永久的に発行禁止措置がとられている本著が、日本では文庫本として市民権を得ていることに大きな驚きを感じます。

投稿: イトム | 2006.10.12 00:02

イトム、ご無沙汰。

かつての同盟国のよしみで・・・。という悪い冗談が通じないような呪われた書ゆえ、出版に際して訳者は随分と逡巡したようです。結局、日本国民の良識と知性に信をおいたということなんでしょう。ちなみに、戦前、戦中に日本で出版されていた版には、日独の同盟関係に影を落とさぬよう日本を批判的に記した箇所は削除されていたそうで、”完全版”を残すという意図もあったのかもしれません。

私の勤務先の1Fにある書店では、上下巻仲良く平積みでした。

投稿: 凡太郎 | 2006.10.12 00:17

よくよく考えてみれば、日本にはユダヤ人が殆ど住んでいないから平然と出版されているんでしょうね。

投稿: 凡太郎 | 2006.10.13 00:03

>永久的に発行禁止措置がとられている本著が、日本では文庫本として市民権を得ていることに大きな驚き

悪く受け取れば「他人事」、よく受け取れば「本書を客観的に読める立場」ということなのでしょう。

投稿: Mizo | 2006.10.13 22:36

日本では発禁本というと、倫理や社会性より「圧力」によって知らない間に片付けられているケースが多いのでしょうか。JRを批判した週刊誌がキオスクの店頭に並ばなかったりしましたね。

いったん消えた「ちびくろさんぼ」が復活したときは、時流による毀誉褒貶が絵本の世界にも及ぶことを思い知らされました。

日本では書物に対する制限におおらかな割には、「言葉狩り」に関しては結構ナーバスというか積極的な印象をもっています。だから言葉選びには慎重になりますしね。

投稿: 凡太郎 | 2006.10.13 23:39

> 日本では書物に対する制限におおらかな割には、
> 「言葉狩り」に関しては結構ナーバスというか積極的> な印象をもっています。だから言葉選びには慎重にな
> りますしね。
そう、まさにそのとおりだと思う。
「盲人」→「目の不自由な人」なんて読み替えをしたところで、『「盲人」という言葉を差別的に使用する人が存在する』っていう問題の根幹はいささかも改善されないね。
ただしこのpolitically correctな表現ってのは日本語に限ったことではなく、英語にもたくさんあります。
身体障害をあらわす形容詞が「handicapped」から「disabled」になり、さらには「differently abled」に変化しつつあるのなんか、その典型です。
「わが闘争」にもはや戻れないくらい脱線したコメントでした。

投稿: イトム | 2006.10.14 00:34

「politically correctな表現」ってのめりこみだすと際限なくなりますね。自治体によっては、「障害者」を「障碍者」や「障がい者」と表記するところが出始めています。もちろん「害」という字のnegativeなイメージを嫌ってのことのようです。

投稿: 凡太郎 | 2006.10.14 00:49

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